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観光案内の重圧と誇大妄想

CATEGORY : 今日の一筆

UPDATE : 2018.12.04

文責 : 一筆太郎

観光案内するのは難しい。
 
 
僕は東京に住んで20年近くになる。人生の大半を東京か、その周辺で過ごしてきた。東京のことはわりと知ってる方だと思う。二十歳を過ぎた頃に通った映画学校は銀座の近くにあって、都内は撮影に適した場所を探すロケハンとして、各所を回った。最初に入った会社は赤坂にあり、雑誌の編集部は九段下で、ITベンチャーは渋谷、広告会社は原宿、前職は表参道のアップルストア近くだった。今のオフィスは六本木にある。住まいもいろいろだ。参宮橋から赤坂に通い、芭蕉の面影を意識して森下に住み、西麻布の交差点近くにマンションを買ったこともあるが、今は駒沢大学に住んでいる。
 
 
昨日から福岡チームの上田さんが東京にいる。いつもは僕が福岡に行くことが多くて、行けばいろいろなところに連れていってくれる。美味しいものを教えてくれることはもちろん、車を出してくれて福岡周辺の観光地を案内してくれる。毎度毎度至れり尽くせりなのである。そんな日頃のお礼をすべく、東京を案内しなくてはならないのだ。昨日は写真映えのする場所がよいということで新宿のゴールデン街に繰り出した。
 
 
さて、今日はどうしよう。
東京の観光地ってどこだ?案内する人はデザイナーである。ふつうでは満足しないだろう。絵的にもイケてなくてはならない。たとえば渋谷であれば、奥渋や渋二なんかがおしゃれなイメージがある。中野ブロードウェイなんかもいいかもしれない。タコシェなんかのサブカル関連の店を巡るとか。居酒屋であれば聖地といわれる立石まで足を運んだっていい。そんなことをパッといくつか思いつくけど、どれもなんだかふつうな気がする。
 
 
僕にとってうれしい観光とは、新たな出会いや発見があることだ。
昨日のゴールデン街はその場所自体が腐敗したような独特の異臭を放っていて、場所のチカラが強いことはもちろん、たまたま入ったJAZZバーが暗い細長い洞窟に迷い込んだような感覚に陥る新たな体験がそこにはあった。この出会いは偶然性の産物であって、観光案内をしようと思ってできたものではない。
 
 
思えば、自分が観光することだって簡単なことではない。今まで世界や日本の各所を旅してきたが、成功だったと思える旅は数えるほどしかないような気がする。世界でいえば、世界遺産はだいたい悲しい思い出である。歴史的価値はどれも高いのだろうが、整備されすぎていたり、団体が押し寄せていたりで、その空間の価値を感じることができた試しがない。日本の熊野も大好きな土地だけど、世界遺産に登録されて、獣道のようだった熊野古道が踏み固められて整備されてしまったと聞いて悲しくなった。熊野に初めて行ったのは中上健次の小説に憧れてのことだった。小説の舞台となった街を歩いていると、小説と同じような方言の会話が聞こえてきて、小説の中にいるような気分になってうれしくなった。ゆるんだ顔でふらふらと歩いていると、一緒に行った友だちが地元の人に声をかけられた。ぶっきらぼうに「こんなところに何しにきたんや?」と中年よりはもう少し年季の入った男の人が言っている。びっくりしながら「中上健次の小説が好きなんです」と答えると、その男の人は「線香あげるか?」と笑った。彼は中上健次のお兄さんだったのだ。僕らはひょんなことから中上健次の実家に上がり線香をあげることになった。それを観光と呼ぶのはちょっと違うような気もするが、旅や観光を考えるとそんなことを思い出してしまうのだ。
 
 
最高の観光案内は、最高の新たな発見や体験をしてもらうことだ。なんてことを考えると、自分でハードルを上げすぎてしまって、恐れおののいてしまうのだった。結局、二日目の東京観光案内は渋谷でどこにでもある居酒屋に行き、おしゃれを意識しすぎて、美味しいを通り越してしまったビールを飲み、夜中にもんじゃ焼きを食べるという、いたって日常的な夜になるのだった。自分の巨大化した観光案内への妄想に押しつぶされ、敗北した夜だった。

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