開発している商品のボトルやパッケージをデザインするために、大商硝子さんを訪れた。大商硝子株式会社は、創業が1917年で昨年100周年を迎えた老舗である。ショールームにはたくさんのガラス瓶が美しく並べられている。国内で取扱のない瓶メーカーはほとんどないという。そして、さあどうぞとオロナミンCを出してくれた。これにはちょっと驚いた。大塚製薬の誕生とともに歩んでいるのだと営業部の方が説明してくれた。打ち合わせの席にコーヒーやお茶を出していただける機会は多いが、オロナミンCが出てくるのは初めてである。最近は忙しくてひどく疲れてるから嬉しくて、久しぶりのプルトップに早速指をかけた。懐かしい味がする。
オロナミンCは、大塚製薬がオロナインと一文字違いである。これはあえて開発した大塚正富が行なったことで、当時知名度が高かったオロナインと近いネーミングにすることで宣伝に有利になると睨んだのだった。
大塚正富は大塚製薬の創業家の次男である。父親武三郎が大塚製薬グループの源流となる大塚製薬工場を徳島県鳴門に創業し、正富の兄正士が経営権を継承した。オロナイン軟膏の大ヒットに貢献したのが正富で、その後の大塚製薬のヒット商品を生み出した。オロナミンCに始まり、ごきぶりホイホイ、アースレッド、コバエがホイホイといった今だに売れ続けるロングセラーの生みの親なのだ。
正富のヒット商品を生む秘訣は『大塚正富のヒット塾』廣田章光/日経ビジネススクール編(日本経済新聞出版社)という本で紹介されている。
オロナミンCが生まれたきっかけはハワイで初めて飲んだコカ・コーラにあった。コカ・コーラの魅力に取り憑かれ、その味を再現するために商品開発を進めた。正富は徳島県の名産であるすだちの研究をしていて、それを活かせないかと試行錯誤した。コカ・コーラの中にはすだちによく似たライムが使われているという。なんとかコカ・コーラを作れまいかと研究を続けた。だが、その味に近づくことはなかった。
しかし、そのプロセスで新たな炭酸飲料の商品サンプルがいくつか生まれた。これを兄に相談し、炭酸飲料の商品を売り出すことを提案したのだ。そして、オロナミンCが誕生する。味はコカ・コーラではなく、パインとオレンジをミックスした柑橘系にした。味の追求を続けた結果、満足いくものができあがったが、問題は価格だった。
当時、牛乳が1本12円、コカ・コーラが38円で売られていた。少なくともコカ・コーラの価格に合わせたかったが原価が合わなかった。キリンレモンやバヤリースオレンジなどの清涼飲料市場の仲間入りを狙っていたが、(これがイノベーションだと思うのだけど)カテゴリーを栄養ドリンクに切り替えたのだ。すでに大正製薬のリポビタンDが王者として君臨していた時代である。正士は(一度負けている)王者に勝負を挑んだのだった。正士はそれを正富には伝えなかった。あくまでも清涼飲料として開発されたオロナミンCが大ヒットに至ったのには、味の追求が栄養ドリンク市場における強みとして働いたのではないだろうか。
大商硝子株式会社は徳島県の大塚製薬工場の近くに工場を構えている。オロナイン軟膏の白い瓶をつくっているのも同社である。オロナミンCの瓶には複雑な模様が彫り込まれているのだが、きっと大塚製薬の商品開発と大商硝子の間にも興味深いストーリーが数多く眠っているのだろう。