技術やテクノロジーの著しい進歩は、ときに市場構造を根本から変えるほどの影響を及ぼすことがある。
ワープロやパソコンの登場は、タイプライターの市場に終止符を打った。かつて日本全国に存在していた天然氷屋も、家庭用冷蔵庫が普及するなかで次々と暖簾を下ろしていき、今ではわずか数カ所しか残っていない。
消えゆく市場に両足を突っ込んでいるブランドは、早急に新たな市場に参入する必要がある。と、口で言うのは簡単だが、実際に新しい事業を安定化させるのは簡単ではない。
コダックが経営破綻したとき、
富士フィルムの売上高は伸長していた
2012年、写真フィルム産業の世界的リーダーであるイーストマン・コダックが経営破綻した。
テジタルカメラや携帯電話カメラが台頭し、写真フィルムの需要は急速に減少。
「完璧な製品を作ることにこだわって変化を拒んだ」(英エコノミスト誌)ことで、事業転換を図れなかったことが原因とされている。
これには日本が誇る写真フィルム産業の雄、富士フィルムも戦々恐々としたことだろう。
と思いきや、同時期の富士フィルムの売上高は過去3年間で最も高い成果を出していたのだ。
なぜだろうか?
富士フィルムはコダックが経営破綻する何年も前から写真フィルム業界の行く末を案じ、新たな収益源の確保に取り組んでいた。そう、サブブランドを立ち上げて事業の多角化を図ったのである。
同社は2003年ごろから、「技術の棚卸」と呼ばれる事業転換プロジェクトをスタート。長年培ってきた写真フィルムのノウハウで、新しい事業領域を開拓しようと試みた。
技術的な裏付けだけでなく、その業界でオンリーワンの存在になれるか、会社の思いに合致するかなどを総合的に考慮し、2年がかりで様々な事業を検討。最終的に医療分野や高機能材料など、いくつかの事業に参入することに決める。
その中でも著しい成果を生み出したのが、スキンケア化粧品事業だ。
写真フィルムのコラーゲン技術が
オンリーワンの化粧品を生み出す
写真フィルムと化粧品の製造技術には多くの類似点がある。そして、同社は写真フィルムに用いるコラーゲン技術を膨大に蓄積しており、あらゆる種類のコラーゲンを独自に生み出すことができた。
これを化粧品に生かして誕生したのが「アスタリフト」だ。
スキンケア化粧品にはコラーゲン配合を謳っているものが多いが、大半が肌の奥まで浸透することなく表面を潤すだけ。一方、アスタリフトはミクロンからナノレベルまで異なる粒子のコラーゲンを配合しているので、一部は肌の表面を潤し、一部は肌の奥まで潤す。まさに、既存商品にはない特性を持ったオンリーワン商品が完成したのだ。
「富士フィルム」を前面に出すという勇気。
フィルム写真に親しんだ40代にヒット
業界に一石を投じる新しい商品の開発には成功した。問題は、これをどうやって売るかだ。
富士フィルムのブランドイメージと化粧品の親和性は決して高いとはいえず、これまでのコアターゲットも女性ではなかった。
「富士フィルムというブランドは隠したほうがいい」
「OEM化や化粧品会社とのダブルブランドを検討すべき」
といった意見も社内で多く飛び交ったそうだ。しかし、彼らは「富士フィルム」の看板を前面に打ち出すことに決める。
既に強力なブランドがひしめく化粧品業界で、名もなきブランドの知名度や価値を高めるのは容易ではない。それよりも、富士フィルムが長年培ってきた技術への信用に賭けよう。そして、コアターゲットの40代女性はフィルム写真に親しんだ世代。きっと富士フィルムへの信頼性は高く、コラーゲン技術の優位性を伝えれば響くはずだ。
こうしてデビューした「富士フィルム アスタリフト」は通信販売からスモールスタート。すると、売れ行きは予想以上に好調で、富士フィルムが化粧品を作ったという話題性もあって認知度は一気に向上。化粧品の問屋やデパートのバイヤーからの問い合わせも急増し、すぐに全国各地での店頭販売が始まった。
今やアスタリフトをはじめとするヘルスケア事業は、同社の柱のひとつとなっている。
コラーゲン技術という経営資源を活用したサブブランド展開と、あえて企業ブランドの名前を打ち出すことで、スタートダッシュを図るという戦略。簡単に真似できるものではないかもしれないが、新しい市場に参入する戦略の一つとして覚えておきたい。