ライアル・ワトソンは、いう。
「ゴルフでホール・イン・ワンを飛ばすことは、うわべだけで考えるなら、滅多に起こらない。ゴルフコースには、グリーンの真ん中の穴以外に、ボールが落ちうる場所は無限にあり、理論的には、ランダムに打たれたボールは、そのどの点にも落下する可能性が等しくある。あるいは逆に、どの点にも落下しない可能性が等しくある。しかし現実には、ゴルフの競技においてはグリーンの中のあの穴は、芝生の上の他のランダムな地面にはない特別な意味があり、だからこそ、ボールがそこに到達すると皆が喝采する。そこには磁力ともいうべき引力が働いていて、結局はボールを、たとえ一ストローク以上かけさせてでも、吸い寄せてしまう。要するに、穴はゲームの総体に対して、ある意図をもっているのである。
生命も、おそらくはそのようなパターンの一環なのであろう。生命は地球に関して、ある意図を秘めているのだ。」
魚釣りをしていると、この意図を捉えたのではないかと感じるときがある。無限かと見紛う広い海の中に、細い細い糸を落とし、見ることもできない生命を捕まえるのはホール・イン・ワンをすることと大差がないように思われる。
僕は一匹の魚を釣ろうとしているのだが、その一匹はこの一匹ではない。つまり、カワハギであれば、カワハギであって、集団をぼんやり釣ろうとしているに過ぎないのだ。
だが、僕が釣ったカワハギは、乗合船に乗り合わせた他の釣り人には決して釣ることのできないものだと断言できる。そこには意図の通じ合いのようなものがあるように思えてならないのだ。
カワハギは、音もなくやってきては去っていく。竿を立てると、針につけたアサリはきれいになくなってしまう。それを何度も繰り返しているうちに、僕はカワハギの眼になって想像してみることにした。
カワハギにはまぶたがない。ずうっと目を開けて、ぼんやりと見ている。海の深くになればなるほど、あたりは暗くなる。浅いところであれば光は屈折を繰り返しながらカワハギの眼に届く。色は何色なのだろうか。青か色彩は感じないのかはわからない。
僕が落としたカワハギの仕掛けには集魚板がついている。光に当てるとキラキラ反射するものだ。光の反射量が異なるものが組み合わされているので、光の当たる角度によって見え方は変わってくる。もしかするとカワハギには、パンテオンのオクルスのように一筋の強い光となって、アサリを照らし出しているように見えるかもしれない。もしかすると、光は分散し、周囲の生物たちを照らしだして、シャルトル大聖堂のバラ窓のように輝きを放つのかもしれない。
ともあれ、僕は勝手な想像を繰り返し、竿を大きく振って、マリア様が降臨するかのごとくアサリをカワハギの元に落とすことにした。そうすると針にはカワハギが捕らえられていたのだ。僕の想像が強い磁力となったのかはわからないが、ある意図を感じたような気分になることはできた。