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こんなパリに憧れたんだなぁ。ウィリー・ロニス展@何必館より

CATEGORY : 今日の一筆

UPDATE : 2019.04.13

文責 : 一筆太郎

墓参りを終えて、難波へ向かおうと歩いていた四条通りは、道ゆく人の数が多くて、しかもカメラを手にしている人が多いから、急に止まったり歩みがゆっくりだったりで、打ち合わせに向かおうという気分の身からすると、なんとも歩きづらい道だった。あまりキョロキョロせずに、うまく歩ける道はないかと隙間を探しながら歩いていると、「没後10年・ロニスの愛したパリ WILLY RONIS展」何必館・京都現代美術館というフラッグが目に入った。観光客向けのお店が並んでいる中に違和感のある広告だなと思った。あ、何必館は樹木希林が好んだ坪庭があるところだ。館長が村上華岳の作品を鑑賞するために設計したという建物だったはず。そう思い出した頃には何必館の前に立っていた。さて、入ったもんか迷ったけど、「没後10年・ロニスの愛したパリ WILLY RONIS展」という下に北大路魯山人 地下にて常設展示と小さくあり、ロニスは知らなかったけど、えいやと入ってしまった。
 

 
ロニスの写真は僕が好きだったパリの風景で、トリュフォーの白黒映画(『大人は判ってくれない』とか)を見たときのようなアンリ・カルティエ・ブレッソンの写真を見たときのようなフランスへの郷愁が一気に蘇って来た。何年か前にパリに行ったときにそのイメージが塗り替えられてしまったのだけど、郷愁というのは色褪せないもんだ。館長の名前は梶川芳友さんというようだ。このかたの文章が素敵で図録も買ってしまった。そこにはこうある。「彼の作品には、パリ市民であるロニスの、最も身体化された「パリの自由」が写りこんでいる。そして真の人間性によって静かに流れ、長い時間を経て滲み出すように感じられてくる何かがある。」と。館長は、ロニスはもとより、ドアノーやブレッソンとも交流があった人のようだ。最も身体化されたパリの自由という言葉が素敵だなと思ったし、僕が憧れたのはパリの自由だったのかもしれないなとも思った。
 


 
樹木希林が愛した坪庭は、きっと誰もが驚くだろう。僕の前にいたフランス人のカップルも興奮してシャッターを何度も切っていた。


 
何必館という名前は、「何ぞ必ずしも」、つまり「定説を常に疑い、それに縛られない自由な精神を持ち続けたい」ということでつけられたそうだ。創造は常識の否定から始まるとは、最近よく耳にする言葉だけに、来るべくして来たということかもしれない。
 

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