陶芸家の平松壯さんにお会いした。
平松さんはもともと写真家で、国内外で個展を開催されてきた方だ。50歳を過ぎてから陶芸家に移行された。
大先輩だが、笑顔がチャーミングでどこか人なつっこい。
スペインで暮らしていたそうで、なぜスペインだったのか聞いたら
「そのときたまたま近くにいた人がスペインに行くっていうから。あと、あったかそうだし」
とカラッとした笑顔で話してくれた。
若いときから骨董が好きだったそうで、
弥生土器や土師器(はじき)のようなものを好んで集めた。
故郷の岡山では、土を掘るとそういったものが出てきたこともあるそうだ。
平松さんの言葉はどれも興味深いのだけど、
特に印象に残ったのが「反応採集」という言葉だった。
平松さんの写真集のタイトルにも使われているが、
陶芸でも反応採集をしていることに変わりないという。
今日は時間があまりなくて深く伺えなかったので、また次回に聞いてみたい。
僕は反応採集と聞いて、
『飯場へ: 暮らしと仕事を記録する』渡辺拓也著(洛北出版)を思い出した。
この本は、飯場と呼ばれる建設労働者が寄宿する場所に入り込んで、日雇い労働者たちと生活を共にし、その様子をつぶさに観察記録したものだ。エスノグラフィーという社会学や文化人類学などで用いられる研究手法の一つを用いている。
「もともとは大阪各地の公園に点在しているテント村の研究をしていたのですが、ある時、ホームレスをしていた職人さんに“飯場に入ってみないとワシらのことは分からない”と言われたことがきっかけでした。私も飯場に入る前は、しんどそうとか、上下関係がきつそうとか、鬼のように搾取しているんじゃないか、というマイナスのイメージがありました。実際、最初に車でつれていかれたところは田んぼに挟まれたボロボロのプレハブで壁も薄く、本当にみんなここで生活をしているのかと思いました。でも暮してみれば、みんな紳士的ですし、親切で、規則正しい生活をしていて、結構楽しく生活できた。考えてみれば、飯場の経営者も、労働者には働いてもらわないとならないから、そんなあからさまに酷い場所ではないですよね(笑)」
という本人の言葉からわかるように、本当に入り込んで、同じ目線で観察を重ねるフィールドワークによって、生の声が収集されている。
著者=「僕」は、かれらと共に働きながら、その一人ひとりの言動に視線をそそぐ。
かれらにある、一瞬の繊細な気配り、隠された冷やかさ、見返りを求めない手助け、耐えがたい混乱、息を飲む率直さ、抑えがたい苛立ち……。これら一人ひとりの言動が、共に働く現場において、固有の関係性を紡ぎあげている。この関係性を「理解」するために、「僕」は、体験を記録し、その意味に気づき、そして考察を、厚く、重ねていく。
反応採集を続けてきた平松さんもきっと、自分の体験を記録し、その意味に気づき、そして考察を、厚く、重ねてきたのではないだろうか。平松さんは手を動かしてると手を動かしたくなって、しまいには勝手に動き出すといっていた。その体験とは、時にファインダー越しの風景であったり、目の前の土になるのかもしれない。
反応採集やエスノグラフィーは、ブランディングにも必要な要素だと思う。
ブランディングでは、ターゲットとなる人がいる。この「人」がどのような生活をしているのか知ることが大きな一手となるからだ。
P&Gマフィアの生みの親といえそうな和田浩子氏はエンドユーザーを理解するために、エンドユーザーの日常生活を実際に見て、そのライフスタイルを観察するのが手っ取り早いと言っている。目の前にいる人がナチュラルにしていることを観察すること。それがその人の生活習慣だから、と。きっと和田さんも深く観察すること、反応採集をしてきたのだろう。
反応採集は、芸術にも研究にもブランディングにもなる。
自分の体験を記録し、その意味に気づき、そして考察を、厚く、重ねていくことの大切さを思い知らされた。