僕は父を誤解していたらしい。
先日、一緒に食事していたときのこと
母が僕が生まれたときの話をし始めた。
「お父さんにそっくりで、本当に瓜二つだったのよ」
40を過ぎた息子を前に
よくも赤ん坊だった頃のことを真顔で話せるものだと
思うのだが、母はそういう人だから驚かない。
が、いつもは黙っている父がそこで口を開いた。
「血液型が違っただろ、俺はあれ、本当にがっかりしたんだよ。
もう全部一緒だと思ってたから」
これには驚いた。
そんなことを言われたこともないし、
そもそも父は僕のことなんて全く興味ないと思っていたのだ。
父はずっと仕事ばかりで、会話などしたこともなかった。
二十歳を過ぎたあたりで僕は、真顔で父に聞いたことがある。
「俺に興味ある?」と。
父はモゴモゴしているだけで、その時は何も言わなかった。
そんな父が、僕と全部一緒だと思っていたとは。
驚愕した。
と同時に、誤解だったんだと思った。
少なくとも興味というか感情的なものはあったのだろう。
誤解は、誰にでもある。例えば、
日本人の多くが、マーケティングの本質を誤解している。
と、ネスレ日本株式会社CEO高岡浩三氏は、フィリップ・コトラーとの共著『マーケティングのすゝめ』(中公新書ラクレ)の中で書いている。
誤解しているのは日本人だけでなく、世界中の国の多くが誤解しているという。
マーケティングとは何か?
コトラーは本書の中で、こう答えている。
マーケティングとは、顧客にとって価値のあるモノやサービスを通して、顧客の問題解決のお手伝いをすること。
であればこそ、「顧客の特定」と「顧客の問題の特定」が出発点になると高岡氏は説く。
P&Gのマーケティング帝国を築いたと言われる和田浩子氏は、「製品やサービスを使って欲しいエンドユーザーの、従来の行動パターンを変えるのがマーケティングの役割だ」と言っている。顧客を「選ばざるを得ない」と口説き落とすことがマーケターの役割になるのだ、と。
どうやらマーケティングとは、特定した顧客の行動を変えること。と言えそうだ。
マーケティングも身近にある言葉である。
僕は数年前まで、なんとなくのイメージで
マーケティングは顧客を特定して、その顧客とコミュニケーションをとること
くらいに思っていた。
僕は父のことを誤解していたように
マーケティングのことも誤解していたようだ。
ちなみに、うちの奥さんは
一世風靡を一世風味だと誤解していたらしい。
誤解は誰でもする。
だけど、ブランドは誤解されてはならない。
本質はどうあれ、
顧客に想起されるイメージが
ブランドが想起してほしいイメージと違っていては
元も子もないのだ。
とはいえ、世の中には誤解されているブランドも多いと思う。
ZOZOTOWNは誤解されていないだろうか?
UNIQLOは?TOYOTAは?
「英語には約80万の単語があるが、そのうち日常会話で使われるのは約800語である。800語には全部で1万4000の意味があるので、メッセージを話し手の意図通りに解釈するのがなかなか難しい」とウィリアム・V・ラチは『コーポレート・コミュニケーションズ:日米比較調査』のなかで述べている。
一つの言葉をとっても誤解なく伝えるのは難しい。
リチャード・ワーマンは『理解の秘密』(NTT出版)のなかで
情報過多に要注意だと言っている。
情報過多は、矛盾や解釈のあいまいさをもたらしやすい。
ごく簡単な仕事にあふれるほどの指示が与えられるというのは、恐ろしいことだ。
父のように口下手で伝える情報が少なかったり、
マーケティングのようにいろんな意味が氾濫していたり、
一世風靡のように紛らわしいと
なかなか誤解なく伝えるのは難しいということだろう。
誤解は名作を生むが、
ブランディングには禁物だ。