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【地域ブランディングの成功事例】アイデンティティの確立で、熱海を若者の街に変える

CATEGORY : ブランディング成功事例

UPDATE : 2019.09.02

文責 : 一筆太郎

この記事のポイント

1970年代以降、熱海は「寂れた温泉街」と化して衰退

官民連携の音楽祭などにより、観光客の若返りに成功

シャッター商店街をリノベし、若手起業家や移住者が増加

静岡県熱海市は、気候や景観に恵まれた日本屈指の温泉地。泉質の良さや海に囲まれた土地ならではの食文化など、その魅力は古くは江戸時代初期から知られ、湯治場や別荘地として多くの人々に愛されてきた。昭和になり鉄道の整備が進むと、観光客の数は一気に増加。高度経済成長の波に乗り、熱海は日本を代表する観光地としての地位を確立していた。

ところが、1970年に入ると、熱海を訪れる観光客の数は減少し始める。新婚旅行のメッカや首都圏からの団体旅行の行き先として賑わった温泉地は人通りが少なくなり、バブルの崩壊後には閉館に追い込まれる旅館も増えた。熱海は「寂れた温泉街」と化し、街全体が人口減少や地域経済の衰退の危機に直面したのだ。

こうした中、熱海は地域ブランドの再建に立ち上がった。行政では、2006年に初当選した新市長を中心に「長期滞在型の世界の保養地」という新しいコンセプトを打ち出した。民間では、地元出身の市来広一郎氏が地域情報ポータルサイトやSNSの開設、遊休農地の再生を目指した「チームの里庭」の立ち上げ、熱海の7つの商店街と連携した「マチが舞台の音楽祭」の開催などにより地域活性に着手。2009年にNPO法人「atamista(アタミスタ)」が設立されると、行政と観光協会、atamistaが体験交流型プログラム「熱海温泉玉手獏(通称オンたま)」を実施し、観光客や地域住民に熱海の魅力を再認識させる活動を展開した。これらの取り組みにより、観光客の客層の若返りを実現。さらに、地域の若者たちも自分たちの街に愛着を抱くようになっていった。

さらには、市街地活性化を目指し、地域の遊休不動産をリノベーションして活用。カフェやゲストハウス、コワーキングスペース&シェアオフィスを次々と開業し、シャッター街と化していた熱海銀座商店街は、起業や移住を目的に若者が集まる街として変貌を遂げた。

熱海が1度は陥落することになった大きな要因は、熱海というブランドアイデンティティの一貫性が欠如していたという点だろう。熱海ブランドは、地域の魅力と新しい時代のニーズを反映させた新たなアイデンティティを確立し、人の流れを呼び込むことに成功したのだ。

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