ビジネス・エスノグラフィとは、民族誌学的アプローチをビジネスやマーケティング活動に生かした調査手法のこと。主にユーザー調査において、定量アンケートなどの手法で顕在化したニーズや情報を探る調査とは異なり、デプスインタビュー、ユーザビリティテスト、観察調査などの手法を使って、ユーザーの潜在的なニーズを探る調査のことを指す。
「エスノグラフィ」は、文化人類学や社会人類学における研究・調査手法であり、特定のコミュニティにフィールドワークとして参加し、そのコミュニティ内の人々の行動様式を観察・記述していくことで、価値観やコミュニティ構造をあぶり出していくものである。
こうした学術的アプローチを、ビジネスやマーケティングなどの課題解決に応用したところ、様々なイノベーションや成功事例が生まれたことから、近年はビジネスメソッドとして注目を浴びるようになっている。
セサミ・ワークショップ:幼児観察で発見した「子どもが一番真似したがるのは電話をかける仕草」を制作に生かす
日本でも一時期流行した「セサミストリート」は、アメリカの番組制作会社「セサミ・ワークショップ」が制作する子ども向け教育番組。英語の読み書き、数の数え方・計算、保健・衛生などを取り上げ、子どもの生活習慣や就学前の教育に役立つ内容となっている。
同社は、2009年ごろからiPhoneなどのスマートフォン向けアプリ・コンテンツに注力し始めた。数々のアプリの中でも特にヒットしたのがスマートフォンアプリ「Elmo Calls」である。
「Elmo Calls」は、アメリカのデザイン会社IDEOとパートナーを組み、人間中心のアプローチで開発された。このアプリは、2-5歳の子どもとその両親向けに「楽しく生活習慣が身につけられる手助けをすること」を目的として作られた。例えば、お手洗いや着替え、歯磨き、早寝早起きなど、毎日繰り返し行う生活習慣を、親に加えてエルモからも教えてもらえるのだ。
このアプリが実現する最も重要なユーザー体験は、歯磨きやお風呂、就寝・起床といった「躾をしたい習慣と時間帯」を親がスケジュール設定することができ、その設定時間にエルモが子どもに「電話」をかけ、エルモが「生活習慣を教えてくれる」という点。
このアプリが単なる子ども向けコンテンツとして終わらずに大ヒットしら理由には、この「電話」というモチーフにあると言われている。そして、このモチーフはエスノグラフィック研究によって導き出されたのだ。
IDEO社がこのアプリを作るために幼児観察をした際、彼らは子どもが「テレビのリモコンを電話のように耳にあて、両親が携帯電話で話す姿の真似をしていた」点に着目した。大人の真似をしたがるというのは、幼児期に見られる特性であるが、アプリの利用を通じて「パパとママと同じように、エルモと携帯電話で話せる」というある種の背伸びした体験ができることは、子どもがアプリを喜んで使う動機付けになるのではないか、とIDEO社のメンバーは考えたのである。
リリースされたアプリは1ヶ月の無料期間中に400万回以上利用され、App Storeで子ども向けの必須アプリにランクインされた。
ともすれば硬くなりがちな教育アプリだが、ユーザー観察から見えてきた子どもの心理をプロダクトに反映することによって、楽しく最適なコミュニケーション設計を実現することに成功したのだ。