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独自性を発見せよ!「コアコンピタンス」とは?【ブランディング成功事例まとめ】

CATEGORY : ブランディング成功事例

UPDATE : 2019.06.14

文責 : SINCE.編集部

コアコンピタンスとは、企業やブランドが位置する市場において競争優位性となる要素のこと。創案者のゲイリー・ハメルとC・K・プラハラードはこのように定義している。

「顧客に対して、他社には提供できないような利益もたらすことのできる、企業内部に秘められた独自のスキルや技術の集合体」

さらに、下記3つの能力をすべて有するものが、コアコンピタンスにふさわしいとしている。

(1)顧客に何らかの利益を感じてもらえる能力
(2)競合に真似されにくい能力
(3)複数商品や他の市場に汎用できる能力

こうして導き出されたコアコンピタンスは、定めて終わりにするものではなく、下記の5つの視点で定期的に細かく現状分析を行うことが重要だという。

・模倣可能性=他社が真似できる可能性
・移動可能性=他の事業や商品に汎用できる可能性
・代替可能性=他の方法で代替できる可能性
・希少性=市場において珍しいかどうか
・耐久性=長期にわたって維持できる強みかどうか

この分析によってコアコンピタンスの強みを磨き、弱みを改善していくことで、長期にわたって企業やブランドの資産となる力強いコアコンピタンスが出来上がってくるのだ。コアコンピタンスは企業の大黒柱であり、ブランド価値の根幹をなすものだと言えるだろう。

では、実際にコアコンピタンスを磨くことで成功している企業の成功事例を見てみよう。

HONDA:世界中の自動車メーカーが直面した問題を技術力で解決し、他製品に汎用して成功

コアコンピタンスの事例として特に有名なのが、本田技研工業(HONDA)のエンジン技術である。

1960年代半ば、日本やアメリカでは自動車の排気ガスによる大気汚染の問題が深刻化しはじめていた。1970年には大気浄化法改正法が生まれ、厳しい基準をクリアした自動車しか販売を許可されなくなる。

世界中の自動車メーカーがこの法案によって自動車を販売できなくなると主張するなか、水面下でこの好機を狙っていたのが日本のHONDAであった。

HONDAは大気汚染の問題が議論され始めた1966年に、他社に先駆けて大気汚染対策の専門研究室を設立。1968年以降は主力市場だったF1への参戦もやめて、この研究所の全リソースを大気ガス研究に注ぎ込んでいた。

そして、とうとう1970年に訪れた法改正。創業者の本田宗一郎は、最後発の自動車メーカーであるHONDAが他社を追い越す絶好のチャンスと捉え、圧倒的なスピードと情熱で新技術の開発にすべてを捧げた。

こうして1971年〜1972年にかけて誕生したのが、低公害技術を駆使した新型エンジン「CVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)」だ。このエンジンは世界で一番早くアメリカ環境保護局の認定を取得。HONDAはどこよりも最初に厳しい基準をクリアしたメーカーとして、全世界中にその名を轟かせることになる。

さらに、このエンジン技術を芝刈り機や除雪機、オートバイなどあらゆる製品に応用させることによって、様々な市場でHONDAの技術力が一目置かれるようになる。こうしてHONDAのコアコンピタスは確固たるものとなり、最後発メーカーというブランドイメージから、技術力のHONDAという新しいイメージへと転換することに成功したのだ。

ソニー:創業者の口癖「もっと小さくできないか」が全社に浸透し、小型化が武器に

HONDAのエンジン技術と並んで、コアコンピタンスの世界的な事例として今尚語り継がれるのが、ソニーが生み出したウォークマンである。

東京通信工業(ソニー)は1950年に、日本で最初のテープレコーダーを誕生させる。画期的な発明として大きな話題を呼んだものの、重さ35kg、価格は当時の価格で16万円と、一般の人が手を出せる代物ではなかった。あまりにも売れず、国会の記録補助装置としてようやく使われたというエピソードも残っている。

しかし、この失敗で諦めることなくテープレコーダーの研究を続け、創業者のひとり、井深大の口癖「もっと小さくできないか」に応えながら、どんどんと機能の絞り込みと軽量化を図っていく。

そして1979年、ついにウォークマンが世に生み出されることになる。
 

手のひらサイズの再生専用ステレオカセットプレイヤーで、重量はわずか390g、価格は3万3,000円。ターゲットは音楽を一日中聴くのが好きな若者だ。

「録音機能がないカセットプレイヤーなんて売れない」

「こんな変な和製英語はとんでもない」

発売当初は悲観的・否定的意見が大半を占め、30,000台も作ったのに最初の1ヶ月で売れたのは3,000台程度。

しかし、宣伝部や営業部の人たちは「真に新しいこの商品は、使ってみないとはじまらない」と、日曜に新宿や銀座の歩行者天国に繰り出して若者たちに試聴させ、高校や大学の運動会や文化祭にもよく出向き、若者に影響力のある有名人にウォークマンを渡した。

その誰もが最初は不思議そうな顔をしながらも、ヘッドフォンを付けて音楽を聴くと、パッと驚きの表情に変わる。若い購買担当に権限が与えられていたデパート丸井は、まだ誰もが否定的で見向きもしなかったころに1万台を注文した。

最初は不安だったソニーの社員たちもこうした若者の反応によって「これは絶対売れる」と確信していく。
 

結果、大きなテレビCMなどは展開しなかったにもかかわらず、驚くべきスピードで若者のあいだに広まっていき、8月で初回生産30,000台が完売。以降、生産が追いつかない状態が半年も続いた。

やがてウォークマンは海を越えて世界に広がり、発売から15年で累計1億5,000万台を突破するベストセラーに。

ウォークマンはソニーの代名詞となり、その特性を支えた「小型化」はソニーのコアコンピタンスとなる。
 
 
この小型化は、

「大きなラジカセを持ち歩かずに外で音楽を聴くライフスタイルをつくった」

「発売時に競合が真似できない技術だった」

「ポータブルCDラジカセ、ポータブルMDプレーヤー、ポータブルテレビなど、他の製品や市場に横展開できた」

という点でコアコンピタンスの要件を満たしている。

今や小型化は商品改善の定番となっているが、その先駆けとなったのは間違い無くソニーであったのだ。

富士フィルム:フィルムの行く末を案じ、2つのコアコンピタンスで生き残りを賭けた

2012年、写真フィルム産業の世界的リーダーであるイーストマン・コダックが経営破綻した。

テジタルカメラや携帯電話カメラが台頭し、写真フィルムの需要が急速に減少したことが原因である。

一方、同時期ライバルメーカーである富士フィルムの売上高は過去3年間で最も高い成果を出していた。それはなぜか? 

富士フィルムはコダックが経営破綻する何年も前から写真フィルム業界の行く末を案じ、新たな収益源の確保に取り組んでいたのだ。その改革の中心に据えられたのが、同社のコアコンピタンス。富士フィルムのコアコンピタンスとは、精密な技術力とコラーゲンであった。

カメラのフィルムを製造するにあたって求められるマイクロレベルでの精密な技術。そして、フィルムに用いる高純度かつ高品質なコラーゲンを独自に生み出す技術。

長年、写真フィルム市場で優位性を保ち続けた2つのコアコンピタンスを活かせる場を彼らは模索する。技術的な裏付けだけでなく、その業界でオンリーワンの存在になれるか、会社の思いに合致するかなどを総合的に考慮し、2年がかりで様々な事業を検討。最終的に医療分野や高機能材料など、いくつかの事業に参入することに決める。

その中でも著しい成果を生み出したのが、スキンケア化粧品事業だ。

富士フィルムが精密技術とコラーゲン生成技術を最大限に生かして世に送り出した新商品は「アスタリフト」。スキンケア化粧品にはコラーゲン配合を謳っているものが多いが、大半が肌の奥まで浸透することなく表面を潤すだけ。一方、アスタリフトはミクロンからナノレベルまで異なる粒子のコラーゲンを配合しているので、一部は肌の表面を潤し、一部は肌の奥まで潤す。
  
まさに、既存商品にはない特性を持ったオンリーワン商品が完成した。

こうして生まれた新商品は通信販売からスモールスタート。すると売れ行きは予想以上に好調で、富士フィルムが化粧品を作ったという話題性もあって認知度は一気に向上。化粧品の問屋やデパートのバイヤーからの問い合わせも急増し、すぐに全国各地での店頭販売が始まった。

今やアスタリフトをはじめとするヘルスケア事業は、同社の柱のひとつとなっている。
  
自分たちが持っているコアコンピタンスを他の市場に生かすアイデアが優れていたことはもちろん、全く違う分野に応用するチャレンジ精神こそが、富士フィルムの凄さだと言えるだろう。

自社の強みを正しく理解し、未来を見据えて舵を大きく切る勇気がコアコンピタンスをより輝かせることにつながったのだ。

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