はじめに
「卸売価格契約(Wholesale Price Contract)」は、サプライチェーンで最もシンプルかつ広く使われている取引形態です。サプライヤーがリテーラーへ「1単位あたりw円」という形で商品を販売するこの仕組みは、日常のビジネスで当たり前のように行われています。
しかし、経済学やオペレーションズ・マネジメントの研究によると、この卸売価格契約こそが、サプライチェーン全体の利益(パイ)を縮小させる主要な原因の一つであることがわかっています。本記事では、なぜ卸売価格契約が「チェーン全体にとって損な仕組み」なのかを解説します。
前提:本記事で扱うサプライチェーンの設定
本記事では、サプライヤー(メーカー)・リテーラー(小売業者)・消費者の3者からなるシンプルなサプライチェーンを
想定します。サプライヤーが製品を製造してリテーラーへ卸し、リテーラーが消費者へ販売するという、最も基本的な2段階構造です。現実はもっと複雑ですが、このシンプルな3者構造を使うことで、それぞれが自分の利益を追うと全体では損をするという構造を見ていくことができます。
1. 卸売価格契約とは何か?
卸売価格契約の仕組みはシンプルです。

- サプライヤー(メーカー):製造コスト
cで製品を作り、リテーラーへ卸値wで販売する - リテーラー(小売):卸値
wで仕入れ、消費者へ販売価格pで売る - 消費者:価格
pで購入する(価格が高いほど購入量は少なくなる)
この構造は非常にシンプルで理解しやすいため、現実のビジネスでも広く採用されています。しかし、ここに大きな落とし穴があります。
2. 二重マージン問題とは何か
まず「マージン」とは、仕入れコストに上乗せする利益の取り分のことです。たとえばサプライヤーが100円で製造した商品を130円で卸すなら、差額の30円がサプライヤーのマージンにあたります。
サプライヤーは製造コストにマージンを乗せて卸値を決め、リテーラーはその卸値にさらにマージンを乗せて販売価格を決めます。このマージンが2段階で積み重なることを、経済学者スペングラー(Spengler, 1950)は 「二重マージン問題(Double Marginalization)」 と呼びました。
それぞれが独立して自社の利益を最大化しようとすると、最終的な消費者価格はチェーン全体にとっての最適な水準より高くなりすぎてしまいます。

各社はそれぞれ合理的な判断をしているのに、チームとしての結果は誰も望んでいなかったものになってしまいます。サプライヤーは自分の利益を最大化しようと高めの卸値を設定し、リテーラーはその高い卸値を前提にさらに利益を乗せます。結果として消費者価格が高くなりすぎ、販売量が落ち、チェーン全体で生み出せる利益の総量が縮小します。失われた利益は誰も受け取らず、そのまま消滅してしまいます。
3. それでも卸売価格契約が使われる理由
では、なぜこれほど問題のある契約形態が実務で広く使われ続けているのでしょうか。
答えはシンプルです。管理しやすいからです。「1単位あたりw円」というルールは交渉も会計処理も簡単で、在庫リスクの所在も明確です。一方、二重マージン問題を解消できる収益分配契約や買戻し契約などの調整契約は、より多くの情報共有と事務コストを必要とします。そのコストが理論上の利益改善額を上回るケースも少なくなく、シンプルさに実務的な合理性があることも事実です。
まとめ
卸売価格契約は、サプライヤーとリテーラーがそれぞれ「自分の取り分」を最大化しようとするがゆえに、チェーン全体のパイを意図せず縮小させてしまいます。この二重マージン問題は、1950年代に指摘されてから今も変わらないサプライチェーン管理の根本的な課題です。
では解決策はないのかというと、過去の記事「サプライチェーンコーディネーション」で紹介した収益分配契約や買戻し契約のような調整契約(コーディネーティング・コントラクト)を使えば、理論上はチェーン全体の最適解を達成できます。ただ、「最適な契約に切り替えればいい」とシンプルに言い切れないのがこの問題の難しさです。調整契約の設計・運用には情報共有のコストや交渉コストが伴い、そのコストを差し引いたときに本当に得なのかを慎重に見極める必要があります。
結局のところ、卸売価格契約のシンプルさと、調整契約の理論的優位性、そのバランスをどこに置くかが実務では問われます。サプライチェーンの「契約設計」は単なる取引条件の話ではなく、チェーン全体の稼ぐ力を左右する戦略的な意思決定なのです。

