NISC(内閣サイバーセキュリティセンター)は、日本のサイバーセキュリティ政策を支えてきた政府機関です。2025年7月には「国家サイバー統括室(NCO)」へ発展的に改組され、能動的サイバー防御や官民連携など、より広範なサイバー安全保障を担う体制へ移行しました。本記事では、NISCの歴史や役割から、現在の国家サイバー統括室の取り組み、重要インフラ対策、AI・量子技術への対応、今後の展望まで詳しく解説します。
はじめに
NISC(内閣サイバーセキュリティセンター)は、長年にわたって日本政府のサイバーセキュリティ政策を支えてきた中核組織です。ただし、現在の制度を理解するうえでは注意が必要です。2025年7月1日、サイバーセキュリティ基本法の改正などを踏まえ、NISCは「国家サイバー統括室(NCO)」へと発展的に改組されました。これに伴い、単なる政府機関の情報セキュリティ対策だけではなく、サイバー安全保障を含めた政府全体の司令塔機能が強化されています。
背景にあるのは、サイバー攻撃の高度化です。ランサムウェアによる業務停止、サプライチェーンを経由した侵入、国家を背景とする攻撃キャンペーンなど、脅威は企業や行政組織だけの問題ではなく、社会インフラや国家安全保障にも影響を及ぼすようになりました。さらに生成AIや量子技術の進展によって、攻撃側・防御側の双方で利用可能な技術が変化しています。
こうした状況を受け、日本政府は2025年5月に「サイバー対処能力強化法」などを成立させ、官民連携や重要インフラの防御、能動的サイバー防御に向けた体制整備を進めています。2026年度予算でも、国家サイバー統括室に約127.7億円が計上され、政府機関の監視強化や官民連携、重要インフラのレジリエンス向上などが重点施策となっています。
NISCの基本概念と役割
NISCとは?
NISCは「内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)」の略称です。旧来の記事などでは「国家情報セキュリティセンター」と説明されることがありますが、これは正確ではありません。正式名称は「内閣サイバーセキュリティセンター」です。
NISCは2015年に設置され、政府全体のサイバーセキュリティ政策やインシデント対応における司令塔として機能してきました。2014年に成立したサイバーセキュリティ基本法に基づくサイバーセキュリティ戦略本部を支え、政府機関の監視・分析、監査、政策の企画・立案、関係機関との調整などを担ってきたことが特徴です。
そして2025年7月からは、その機能を発展させる形で「国家サイバー統括室(NCO)」が発足しました。現在はNCOが、政府機関のサイバーセキュリティだけでなく、サイバー安全保障を含む国家レベルの総合調整を担う新たな司令塔として位置付けられています。
そのため、2026年現在に「NISCとは何か」を考える場合、NISCを過去の組織名として理解しつつ、その機能を継承・拡張した現在のNCOまで含めて捉えることが重要です。
NISCの重要性と意義
NISCが重要だった理由、そして現在NCOが重要となっている理由は、サイバーセキュリティを一つの省庁や企業だけで完結できない点にあります。
たとえば、電力、金融、通信、航空、鉄道、医療などの重要インフラがサイバー攻撃を受けると、一企業のシステム障害にとどまらず、国民生活や経済活動そのものに影響する可能性があります。そのため、政府機関、重要インフラ事業者、セキュリティ企業、研究機関、海外政府などが情報を共有し、横断的に対応する必要があります。
現在の政策では、攻撃を受けてから復旧するだけでなく、脅威を早期に把握し、被害が発生する前に対処する「能動的サイバー防御」へと重点が移りつつあります。これは、NISC時代からNCOへと役割が拡張された大きな背景の一つです。
NISCの取り組みとそのプロセス
サイバー脅威インテリジェンスの収集と分析
サイバーセキュリティ対策では、攻撃を受けてから対応するだけでは十分ではありません。どのような攻撃者が活動しているのか、どの脆弱性が狙われているのか、どの業界で攻撃が増えているのかといった情報を継続的に収集し、先回りして防御することが重要です。
NISCは従来から政府機関に対する不審な通信などを監視・分析してきました。2025年7月の改組後は、国家サイバー統括室が政府機関等の情報システムを平時から監視・分析し、必要に応じてセキュリティ対策の評価や改善につなげる体制を強化しています。監視・分析の一部はNICTやIPAへの委託も進められています。
今後は、AIなどを活用した脅威分析や高度な情報収集能力の強化も重要になります。2025年に示された新たなサイバーセキュリティ戦略の方向性でも、高度な情報収集・分析能力を担う体制や基盤、人材の整備が重点事項として挙げられています。
セキュリティポリシーの策定と普及
政府全体のセキュリティ水準を高めるためには、個々の組織が独自に対策するだけでは不十分です。そこで政府は、政府機関向けのセキュリティ基準や重要インフラ向けの行動計画などを整備しています。
特に重要インフラについては、電力、通信、金融、航空、鉄道、医療などの各分野で安全基準や情報共有の仕組みを整備し、サイバー攻撃によるサービス停止を防ぐための取り組みが進められています。2025年には重要インフラに関する行動計画も整備され、社会情勢の変化を踏まえながら継続的に見直す仕組みが設けられています。
さらに、2025年の新たな戦略の方向性では、サプライチェーン全体のレジリエンス強化やセキュア・バイ・デザイン、IoT製品のセキュリティ、ソフトウェアの透明性確保なども重視されています。
サイバーセキュリティの教育と研修
サイバーセキュリティは技術だけで解決できる問題ではありません。高度なセキュリティ製品を導入していても、従業員の不注意による認証情報の漏えいやフィッシングメールへの対応ミスが発生すれば、攻撃を防ぐことは困難です。
そのため、政府では演習や研修を通じた実践的な対応力の向上にも取り組んでいます。特に近年は、単なる知識習得ではなく、実際にインシデントが発生した場合に誰が判断し、どの組織と連携し、どのタイミングで情報を共有するのかまで確認することが重要になっています。
2025年に示された方針でも、演習や能力構築による実践的対応力の強化に加え、小規模自治体や医療機関など、十分なセキュリティ人材を確保しにくい組織への支援が掲げられています。
NISCの応用分野と実例
政府機関のセキュリティ強化
政府機関は、国民の個人情報や行政情報など、極めて重要なデータを保有しています。そのため、政府機関の情報システムを横断的に監視し、異常を早期に検知することは国家サイバーセキュリティの重要な基盤です。
国家サイバー統括室では、行政各部の情報システムに対する不正活動の監視・分析、重大事象の原因究明、行政機関への監査や助言などを担っています。単一の組織を守るだけではなく、政府全体のセキュリティ水準を底上げすることが大きな特徴です。
また、2025年以降は政府機関等に対する横断的な監視体制をさらに強化し、セキュリティ対策の実効性を高める方向が示されています。
民間企業・重要インフラへの支援と連携
現在のサイバーセキュリティでは、政府だけを防御しても十分ではありません。攻撃者は取引先やクラウドサービス、ソフトウェアなどを経由して組織へ侵入する可能性があるため、サプライチェーン全体を視野に入れた対策が求められます。
このため、国家サイバー統括室は重要インフラ事業者や民間企業との情報共有、演習、脅威情報の提供など、官民連携の強化を進めています。2025年に示された方向性では、政府から民間への積極的な情報提供や、報告に伴う民間側の負担軽減など、新たな官民連携エコシステムの構築も重要なテーマとなっています。
NISCのメリットとデメリット
メリット
NISCから国家サイバー統括室へと発展したことで、日本のサイバーセキュリティ政策を政府横断で調整する機能がさらに強化されたことが大きなメリットです。
また、政府機関だけでなく重要インフラや民間企業との情報共有を強化できるため、個々の組織では把握しにくい広域的な攻撃キャンペーンを早期に察知しやすくなります。さらに、政府が共通の基準やガイドラインを整備することで、組織ごとのセキュリティ水準のばらつきを抑える効果も期待できます。
加えて、2026年度予算では政府機関の監視機能強化、能動的サイバー防御に向けた体制整備、重要インフラや民間事業者のレジリエンス強化などが明確に位置付けられています。
デメリット・課題
一方で、国家レベルのサイバーセキュリティ体制を強化すれば、それだけで攻撃を完全に防げるわけではありません。サイバー攻撃は急速に高度化しており、ゼロデイ脆弱性やサプライチェーン攻撃、ランサムウェアなど、従来の境界型防御だけでは対応しにくい脅威が増えています。
さらに、AIを利用した攻撃の自動化やディープフェイク、量子コンピューターの実用化を見据えた暗号技術への脅威など、新しい技術がセキュリティ環境を変えています。そのため、制度や組織を整備するだけではなく、高度な専門人材の確保、技術開発、国際協力を継続することが不可欠です。
NISCの将来展望と進化
AI・先端技術を活用した脅威予測
今後のサイバーセキュリティでは、AIが攻撃・防御双方の重要な要素になります。AIを利用すれば、大量のログや通信情報を分析し、人間だけでは発見しにくい異常なパターンを検出することが可能になります。
一方で、攻撃者側も生成AIを利用してフィッシング、マルウェア開発、偽情報の生成などを高度化する可能性があります。そのため、AIを単純な防御ツールとして捉えるのではなく、AIそのものの安全性を確保しながら、防御能力を高めることが重要です。政府の新たな戦略でも「AIに係る安全性の確保」が重点項目の一つとして示されています。
また、量子コンピューターの進展を見据え、現在利用されている暗号方式から耐量子計算機暗号(PQC)へ移行する準備も重要になっています。政府機関ではPQCへの移行に向けた検討が進められており、サイバーセキュリティはAIだけでなく量子技術まで含めて考える時代に入っています。
能動的サイバー防御と国際連携の深化
今後の大きな変化として注目されるのが「能動的サイバー防御」です。従来のサイバーセキュリティは、攻撃を検知して防御・復旧する考え方が中心でした。しかし、国家を背景とした攻撃や重要インフラへの高度な侵入が増えるなか、攻撃者の活動を早期に把握し、被害を未然に防ぐための能力が重視されています。
2025年5月にはサイバー対処能力強化法が成立し、政府は官民連携や通信情報の利用、アクセス・無害化などを含むサイバー安全保障上の能力強化を進めています。
同時に、サイバー攻撃は国境を越えて発生するため、米国や欧州、ASEAN、太平洋島嶼国などとの国際協力も重要です。情報共有や人材育成、国際的なルール形成を進めることで、日本単独では対応が難しい脅威への対処能力を高めることが期待されています。
まとめ
NISC(内閣サイバーセキュリティセンター)は、日本のサイバーセキュリティ政策を支えてきた重要な政府組織です。ただし、2025年7月の組織改編によってNISCは国家サイバー統括室(NCO)へ発展的に改組され、現在はより広範なサイバーセキュリティとサイバー安全保障の司令塔機能を担っています。
現在の日本では、政府機関の監視や重要インフラの保護だけでなく、サプライチェーン全体のレジリエンス、AIを活用した脅威分析、セキュア・バイ・デザイン、耐量子計算機暗号への移行、そして能動的サイバー防御まで、対策領域が大きく広がっています。
企業にとっても、NISCや国家サイバー統括室の動向は政府だけの話ではありません。重要インフラやサプライチェーンに関わる企業では、今後さらに高度なセキュリティ対策や情報共有、インシデント対応能力が求められる可能性があります。
「NISC」という名称を入口として日本のサイバーセキュリティを理解する際には、過去のNISCの役割だけを見るのではなく、2025年以降の国家サイバー統括室への発展と、能動的サイバー防御を含む新しい政策体系まで把握することが重要です。今後は、AIや量子技術、国際情勢の変化を取り込みながら、日本のサイバーセキュリティ政策はさらに国家安全保障と一体化していくと考えられます。

